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おでん

おでん(日本食)


[おでん]
おでんは意外と新しい食品であるにもかかわらず、その変遷が未だはっきりとしていない。しかし名前からも察することができるように、源流を辿れば「田楽(でんがく)」に行き当たる。田楽からおでんまで、詳細は分からないなりにも歴史に触れてみよう。
[起源] 江戸後期に書かれた「守貞謾稿」に、燗酒とおでんを売る店の記述があるのだが、ここでいう「おでん」は今日のおでんではなく、竹串に刺した豆腐に味噌を塗り火であぶった「味噌田楽」であったらしいので、田楽の変遷を調べてみた。
田楽は、元は平安時代から行われてきた農耕儀礼にまつわる芸能の一種・田植え踊りの一つで、田楽法師が「高足」と呼ばれる一本足の竹馬のようなものに乗って飛び跳ねる姿と、豆腐に串を刺して立てた形が似ていることから名がついたと伝えられている。平安末期の1183年、奈良・春日大社の社務所日記の中に「唐符」が登場し、これが今日の豆腐の初見だという。祭礼の後、この豆腐を拍子木型に切って竹串に刺して焼き、塩をふっただけのシンプルなものだったようだが、それが串に刺して焼いて味噌をつけた今日の田楽として定着していった。江戸・宝暦年間(1751~1764年)の頃になると、餅・田楽・煮物などを売る飯屋が少しずつ現れ、天明の大飢饉以降に屋台が急増、茶屋と呼ばれるような類の飯屋の出現に伴って田楽茶屋も現れた。江戸後期の頃には、田楽の串を見て産地を言い当てることを楽しむ様子も伝えられているくらい庶民の人気を博したようだが、やがて江戸では醤油味のだしで煮込む田楽に発展した。この田楽からおでんに変身する時期は諸説あり、明治期に誕生した説、実は関西で最初に作られた説などもあるのだが、「江戸期に煮込み田楽が誕生した説」が通説といえそうなので、この流れを紹介する。
[煮込み田楽] 江戸後期の江戸で、人気だったコンニャクの田楽串を醤油で煮込んだものが登場し、その後食材が増えて今のおでんに近い姿になったと言われている。幕末の頃には関西に伝わって、味噌田楽と区別して「関東煮(かんとうだき)」と呼ばれるようになり、関西に伝わって早い時期に、蛸や鯨肉などが一緒に入って煮込まれていたという。明治時代には汁気たっぷりのおでんに変わり、関西では関東煮は客座敷でも提供されるような「お座敷おでん」となったという。濃口醤油が出回っていた江戸では、濃い醤油味で煮たおでんが広く普及したが、関西では、昆布・鯨・牛すじなどのだしと薄口醤油で煮込むおでんが「関東煮」として定着したことは既に触れた。江戸のおでんは次第に廃れていったが、大正時代、1923年の関東大震災で関西から救援に来た人たちが炊き出しで「関東煮」を提供したことから、東京でもおでんが復活することになったという。その後、関西の料理人が関東に進出すると、昆布・薄口醤油を用いた料理が大流行し、関西風の料理が一気に広まったというので、おでんはその代表格として浸透していったようだ。
[名称] 「おでん」の「でん」が前身の田楽の「でん」からきたであろうことは容易に察しがつくが、それに、江戸期の女房詞(にょうぼうことば)で接頭語の「お」を付けて「おでん」と呼ばれるようになったのではないかいう。また、今日の関西では薄味のものを「おでん」といい、濃いだしで煮込んだものは「関東煮」と呼び分ける傾向があるというのも、江戸末期の名残であろう。
[おでんの具と地域性] 大根やこんにゃく、厚揚げなどはおでん材の定番であるが、日本各地で作られるおでんにはその地方独自の具材も数多くみられる。
<北海道・東北地方>わらびやふきなどの山菜、つぶ貝やホタテガイなどの貝類など。
<関東地方>ちくわの形をした生麩の一種のちくわぶ、白身魚の練り物ではんぺんの残材から作られる筋蒲鉾、なると、 餃子を白身魚のすり身で筒状に巻いたぎょうざ巻き など。
<静岡地方>焼津地方特有の鰹の心臓を串に刺したカツオのへそ、焼津名産の魚のすり身で作った黒はんぺんなど。<中部地方>名古屋を中心とする味噌味のおでんによく使われる豚もつを串に刺したどて串、豚のばら肉を角切りにした豚バラなど。
<関西地方> さえずりという鯨の舌、鯨の皮を乾燥させたコロ、京都を中心にした湯葉や生麩など。
<北陸地方>主にキャベツをさつま揚げ状に揚げた加賀巻、ちくわの形をした焼き麩のくるま麩など。
<中国地方>煮込んだ具材を皿に盛り、醤油味のだし汁をいったん切ってしまって生姜醤油をたっぷりかけるという姫路のおでん。
<四国地方>愛媛を中心に用いられるじゃこ天など。
<九州地方>熊本おでんの定番である 馬のすじ肉など。
<沖縄地方>沖縄おでんの中心となる食材で豚足テビチなど。
<缶詰おでん>電気街として知られる秋葉原と「おでん」は判じ物のような取り合わせだが、秋葉原は「おでん缶というものがあることを全国に告知宣伝した街」である。「おでん缶」は、1980年代に出現した商品で、当初はスーパーや酒店、食品を扱う雑貨店のほか一部の自動販売機や通信販売などを通じて販売されていた。秋葉原で初めて売り出されたのは1990年代のことで、冬に売上げが減少する自動販売機にテコ入れするために「チチブデンキ」という店の自販機で売り出されたという。このことが「ここでしか売られていない」とか「秋葉原の知られざる名物」などとゲーム雑誌やテレビ番組などで取り上げられ、しだいにマニア層を中心に知名度を高めて定着していったもの。現在では、最初に売り出したメーカーにちなんで命名された「こてんぐシリーズ」のほか「銚子おでんシリーズ」や「静岡おでんシリーズ」など多様化して販売されている。

総論
2月22日はおでんの日である(2007年から日本記念日協会に認定された)。 2・22が熱いおでんを「ふーふーふー」とするのに通じるからだという。おでんは冷めてしまってもしっかり煮込まれているから美味しい気もするが、やはり冬の寒い中、フーフー言いながら熱いおでんを食べるのは格別の妙味であろう。それは田楽の頃から変わらぬ食し方であり、日本の風土風俗に合った、いかにも大衆的な食品であると思う。お座敷おでんも良いけれど、家庭で手軽に作ることができて、様々な具を各々が好みで食することができるし、老若男女を問わない普遍的な食品であるからこそ、変わらぬ人気があるのではないだろうか。