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四辻宮

よつつじのみや【宮家】


[四辻宮]
宮内庁に公式に認められた初めての世襲宮家とされ、鎌倉時代に存在した。初代・善統親王、 二代・尊雅王、三代・善成王まではわかっているが、以後の子孫は不明であるために断絶した宮家と位置付けされている。 初代・善統親王は順徳天皇が佐渡島に流刑になった後の天福元年(1233年)に生まれた皇子で、建長3年(1233年)に祖母から七条院領を相続し、祖母の住まいであった一条万里小路の御所「四辻殿」を相続したことから「四辻宮」と呼ばれるようになったという。正応元年(1291年)5月に出家し、以後は「四辻入道親王」と呼ばれた。 二代・尊雅王は父に引き続き「四辻宮」を名乗っていたことが分かるだけで、生没年など詳細は不明。 三代・善成王は延文元年(1356年)に臣籍降下し「源善成(四辻善成)」を名乗り、公家・学者・歌人として知られたが、その後も親王宣下されることを望んで「四辻宮」と名乗っていたという。応永2年(1395年)出家した。足利義満・満詮の生母となった良子は妹の子という。また、善成王の唯一の男子とされる松蔭常宗は早くに出家して応永14年(1407年)に没したというが、子孫、邸宅、所領の相続など不明であり、「四辻宮」を名乗る人物も未詳である。