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新舞踊・歌謡舞踊

しんぶよう・かようぶよう(日本舞踊)


[新舞踊・歌謡舞踊]
新舞踊(しんぶよう)は、読んで字の如し、新しい日本舞踊の潮流のことである。大正時代に入り、坪内逍遥・小山内薫が舞踊本来の自由な姿を取り戻すため「新舞踊運動」を起こした事により、それまでの日本舞踊が初めて歌舞伎から独立するとともに、「舞」「踊」を一語とする「舞踊」という理念と語が初めて登場した。日本舞踊が、歌舞伎を母体とする「歌舞伎舞踊」、古典的で伝統のある「上方舞」、新しい感覚で新作創造を目指す「新舞踊」などの全てを含めた語として使用されるようになったのは、100年余り前の、ごく最近の話なのである。新舞踊の概要に入る前に、その誕生のきっかけとなった時代背景について先に触れておくことにするが、新舞踊とは何ぞ?と急がれる方は読み飛ばして頂けると幸いである。

日本舞踊の源泉である歌舞伎の大成・興隆は江戸時代のことで、徳川幕府公認の下、大衆向け芸能として発展・洗練され大人気を博し、多くの演目・舞踏家が誕生したのだが、明治維新が起きると、日本の伝統文化はいずれも西洋化の大きな流れに飲み込まれて大混乱期に入り、生き残りを懸けて試行錯誤してゆくことになる。先に触れたように、日本舞踊という言葉は明治維新当時の日本にはまだ無く、文明開化の世になると、欧米からバレエなどの異質の舞踊文化が流入し、日本舞踊界に大きな衝撃を与える一方で、政治的に積極的に受け入れられた。西洋模倣の一端として西洋文化吸収のため、社交ダンスが広められたことはよく知られている。西洋の演劇文化に関する情報が次々に入ってくると、歌舞伎に対し、荒唐無稽な筋立て・興行の近代的でない慣習などを批判する声が上がり、学識者が中心となって従来の伝統文化への見直しがなされ、「演劇改良運動」が展開される。これは、より日本文化を芸術的に高めようとする気運に呼応し、近代社会に相応しい内容に改めるべく提唱された運動である。今後は一般庶民のみならず身分の高い者や外国人が歌舞伎舞台を見物するようになるので、みだらな筋立てを改め、これまで主君忠誠を誓う武士道的精神が尊重されていたものを、天皇中心の尊皇思想に変え、史実を重んぜよというのである。この影響を受け演劇界に新派(劇)が誕生し、歌舞伎に高尚な要素が望まれた結果、能・狂言に題材を得た「松羽目物」や、正確な時代考証を志した歌舞伎が多く誕生することになる。
坪内逍遥が1904年に発表した「新楽劇論」や、邦・洋楽を統合した音楽に踊りを振り付け、日本的な新舞踊の創造への彼の試みなどに刺激され、大正時代には歌舞伎界以外の舞踊家が新しい理念で創作を試みる「新舞踊運動」が展開された。現在、運動自体は成功したと評価されていないものの、天皇の観劇を実現させ、歌舞伎座が開設されるなど歌舞伎の新時代の幕開けとなった。この後、日本舞踊の活動は歌舞伎から離れて発展し、多くの新舞踊の会や歌舞伎役者ではない新しい舞踊家が生まれたのだが、実際のところ、演劇ファンには逆に奇異な印象を与えたためか度々興行に失敗し、結局のところ従来の時代物の修正に留まる程度の変容であった。主眼であった舞台演出(演目・様式など)における成果は少なかったものの、担い手である舞踊家達の「振付」と「演じる」役割が確立し、役者・振付師などの師匠らが独自に公演するようになった。
こうして優秀な指導的舞踊家らの登場により、舞踊界は徐々に「新舞踊」としての方向を見い出すのだが、間もなく勃発した第二次世界大戦の、戦前・戦中における民族主義の台頭により西欧文化を否定する風潮が起こり、戦後、舞踊界は貴重な戦前の文化遺産を引き継ぐことが出来ぬまま行き詰まり、試行錯誤を再び繰り返すこととなった。現在は、個々の舞踊家が雑多な方向性をもつ多面的な芸術舞踊創造の形となっており、古典復興と新分野創造を行き来し、今後どの方向に発展してゆくのか先が全く見えないままのようである。

以上、新舞踊の成立から時代背景とともに変遷を追ってみたが、様式・演目など統一がなされているものではないので、何とも本質が捕らえにくいのだが、敢えて新舞踊とは何かについての概要を以下にまとめてみることにする。

「新舞踊」とは、「新日本舞踊」「歌謡舞踊」「創作舞踊」などとも呼ばれ、日本古来の伝統芸術である日本舞踊、狭義で言えば古典舞踊に当たるのものを、一般的に解りやすく親しみやすくしたものである。第二次世界大戦後、テレビやラジオの各家庭への普及に伴い、民謡・演歌・歌謡曲ブームなど大衆の娯楽が、メディアを通じて流行するようになる。古典の日本舞踊の土壌に育まれつつも、大衆層に浸透していた流行歌を用いて誕生したのが新舞踊で、古典の謡曲とは違い、誰にでも親しまれている馴染みの曲、例えば演歌・歌謡曲などに自由に振り付けを創作し、創造力豊かに舞うものであり、庶民の芸能の本質に最も近い姿ともいえる。前述したように、新舞踊運動の潮流とともに発展し、昭和時代初期の頃から、役者・舞踊振付の師匠等によって振り付けられたもの全体を「創作舞踊」と総称し、現代盛んに行われている演歌に振りを付けたものを「歌謡舞踊」と呼んでおり、圧倒的多数は演歌と共に踊る歌謡舞踊のようだ。演歌のみならずヨサコイソーランのような流行歌なども増えており、芸術舞踊というよりはエンターテイメント的要素が強いといえる。
その振り付けは、基本的には日本舞踊の踊りを基にしているが、様式のそれ以外の部分は比較的自由で、扇子・傘・梅の枝など小物を用いたり、宴会芸・祭の野外舞台などでも演じることが出来るなど、非常に親しみやすく肩肘張らないところが受け入れられ、特に主婦層に人気が高いようだ。
また「素踊(すおどり)」という踊りの形式も新舞踊から始まったともいわれ、曲に指定された衣装・鬘を着けず、衣裳・鬘など拵える前の紋付・袴姿で踊る、能でいう袴能のようなものである。略式とはいえ、身体表現だけで演じる、演出を一切省いたものなので、舞踊家の実力・技量が問われる。素踊りを前提とした清元の名曲に「北州」という祝儀曲があるが、この曲の成立は江戸時代なので、新舞踊から素踊りが始まったことは少々疑わしい。振袖・だらりの帯など、正式な本衣装を一部用いる場合は「半素」と呼ばれている。

以下に新舞踊が含有する歌謡舞踊と創作舞踊について各々触れてみる。

「歌謡舞踊」とは、歌謡曲・演歌・民謡・小唄等の短い曲に合わせ、各流派の師匠が独自の振り付けをして舞台で踊るもので、どちらかと言えば曲が主・舞が従であるようで、レコード会社との関係が深い場合も多い。最近では新舞踊と言えば歌謡舞踊を指す場合が多い。歌謡は大別して2つあり、1つ目は一般に流行歌・民謡・童謡・俗謡などの総称、2つ目は音楽性を伴う韻文形式の作品かつ歌詞と曲とが一体のもののことであり、「歌い物」と呼ばれる神楽歌・催馬楽・今様・宴曲・長唄・端唄・うた沢・小唄などである。「古事記」「日本書紀」の2書にある歌謡は特に「記紀歌謡」と呼ばれている。歌謡舞踊の範囲が解りやすくなるように歌謡の語を調べてみたが、「歌い物」は他の日本舞踊のジャンルにも挙がるものなので、恐らく一般的に用いられるのは、1つ目の現代的な歌謡であろう。流派は乱立気味で数も多く、全国に点在していて正式な登録がなく、具体的な流派数は把握出来ないが、流派名を名乗る流派・サークル・同好会などを含めると相当数になるようだ。一説には全国に130流派余りあるというので、日本舞踊(歌舞伎舞踊・上方舞)に追いつきそうな数である。また歌舞伎舞踊の流派であっても歌謡舞踊を並行して扱う所が結構多く、逆に歌謡舞踊主体の流派で歌舞伎舞踊・上方(地唄)舞を扱う流派も多いので、歌謡舞踊のみを扱う流派は少ないようだ。

「創作舞踊」とは、前述したように、昭和時代初期の頃から役者・振付師の師匠等によって振り付けられたもの全体の総称であるため、邦楽以外の、洋楽をも含む言葉である。バレエ等でも同様の語が用いられているようだが、日本舞踊では特にこの時代で区切られたもののみを指すようだ。「吟詠舞踊」と呼ばれる、吟詠(詩吟)に舞を振り付けた、いわゆる剣詩舞に近いものや、「吟詠歌謡舞踊」と呼ばれる、吟詠が歌謡舞踊に挿入されたもの、あるいは作詞・作曲を専門家に依頼して舞踊曲が作られたものなども、この系統とされる。音楽的ジャンルの境界線が無いので、最も自由で発展性のある舞踊とも言える。

以上、新舞踊・歌謡舞踊について触れたが、どのようなものか少しでもお分かりいただけただろうか。筆者にも把握できない部分が残ったままなので、全容は少々解かり辛いかも知れない。どうやら既存の舞踊を新舞踊的に変化させただけのものでも新舞踊というジャンルに入ってしまうようだし、新舞踊は歴史的に短すぎるし、用いられる音楽のジャンルが無制限、様式も無制限となると、今後、新舞踊の内容が一変している可能性もある。そんな訳で現状を取り上げること以上のもの、学術的見解から未来を追究するなどということは元より筆者にはお手上げ状態である。ただ1つ言えることは、この芸能の今後の方向として、大衆芸能として成立している限り、常に嗜好・流行・時流などに乗って変容してゆき、新しいものを創造してゆく宿命にあるということであり、同時に筆者としては本項の修正が多そうな気がしてならないことを心配するのみである。



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