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歌舞伎舞踊

かぶきぶよう(日本舞踊)


[歌舞伎舞踊]
歌舞伎舞踊(かぶきぶよう)をご存知だろうか。読んで字の如く、歌舞伎劇で見られる舞踊の部分と言えば分かるだろう。日本舞踊の大部分が歌舞伎舞踊であり、その母体とも言えるので、日本舞踊をイメージしても良いだろう。一般的に日本舞踊は歌舞伎舞踊と上方舞とに大別されるので、上方舞の項を参照して頂けたらこの2つがどのように違うか明確になると思う。本項では上方舞には触れず、歌舞伎舞踊の変遷を追いつつ、現在の姿として数ある流派を採り上げてみたいと思う。

歌舞伎舞踊の成立は江戸時代初頭、歌舞伎が演劇・舞踊・音楽とまだ未分類の頃から、約半世紀かけて演劇として成立するまでの段階で、舞踊としての要素だけを抽出し、独立させて発展したものとされる。よって必然的に歌舞伎の題材から採った演目が多い。更にその土台となる芸能を遡ると、室町時代から近世にかけ、一般庶民の興隆と共に風流(ふりゅう)という中世芸能が流行し、その踊から派生した「かぶき踊り(阿国かぶき)」を、出雲阿国(いずものおくに)が生み出したのが原点であるという。阿国は、出雲大社に仕える巫女と自称していたというが、「ややこ踊」「かか踊」「念仏踊」などと呼ばれる踊りをし、やがてそれらを一変させて「かぶき踊り」を踊り始め、歌舞伎の始祖となった。当時最先端の「かぶき者」の格好、簡単に言えば大きな刀を持つなど男装の派手な服装をし、茶屋遊びに通う伊達男を演じる「茶屋あそびの踊り」を考案して自ら踊ったところ、京都で大変な人気を博したという。これを真似た芝居風の舞踊が、遊女らにより盛んに演じられるようになり、「女歌舞伎(遊女歌舞伎とも)」が誕生する。女歌舞伎は江戸時代、1615年~1630年頃が最盛期の、遊女や女芸人による歌舞伎のことで、京都の四条河原や江戸の吉原には常設舞台が設置され、30人余りの男装の遊女が、艶やかで贅を凝らした多様な群舞(総踊り)を披露した。阿国の歌舞伎との違いは、当時最新の楽器であった三味線が用いられたことであるが、阿国はあえて三味線を使わなかったのではなく、高級品で手が出せなかったというのが通説である。風俗営業を伴っていたため公序良俗に反するという理由により禁令が出されて以来、公認の舞台から女性の姿が消え、女歌舞伎も次第に消滅したという。女歌舞伎に次いで人気となったのは「若衆歌舞伎」で、これは前髪のある成人前の少年が女装して演じるものだったが、これも男色を売り物としており風紀を乱すとして禁令が出され、若衆のシンボルである前髪を剃り落とし野郎頭になることと、舞台演目を物真似狂言尽(ものまねきょうげんづくし)に徹することを条件として興行が許可された。これ以後、現代の歌舞伎の原型である「野郎歌舞伎」が成立し、売色的要素を廃し、本格的に歌(音楽)・舞(舞踊)・伎(技芸・物真似)を売り物とする芸能としての本道を歩み出した。女人禁制の芸能となったがために女形(おんながた・おやま)という役割が確立し、舞台上の歌舞伎舞踊は女方の担当となり、登場人物の心理描写として、仕草や情念などの内面的な「振(ふり)」が盛り込まれるようになった。劇芸術の体裁を整えた元禄歌舞伎において舞踊(所作事)は「狂言の花」といわれ、数多くの名手が現れ、歌舞伎劇の中核を形成する華麗な舞踊劇に成長していった。
舞踊が歌舞伎の1要素と認識されると、歌舞伎の振付師達が独立し、舞台の仕事の合間に町で稽古場を設け、一般民衆向けに舞踊を教え始め、この時から舞台上の舞踊とは別に、庶民のための歌舞伎舞踊が誕生する。この歌舞伎舞踊は「かぶき踊り」の系統を継いで、主に女性によって完成されてゆき、その進展途上で先行して存在した「舞」の要素を採り入れ、更に舞台同様、「振」と呼ばれる物真似的要素を加えた。表舞台に出ることは無かったが、歌舞伎と並行して発展し、後の流派に繋がってゆく。明治時代までは組織化された流儀単位というより、個々の師匠の実力により社会的地位・知名度を得て活動していたが、社会全体が近代化した明治時代以降は、家元を中心とする流派としての組織化が行なわれ、数多くの流派が生まれた。

こうした背景から、歌舞伎舞踊とは、1つ目は歌舞伎の「わざ」の1つである所作事(しょさごと)系の舞踊を指し、各々流派をもって組織・活動しているもの、2つ目はこうした舞踊を含む歌舞伎演目、そして3つ目は歌舞伎劇の中の舞踊の部分であり、これらを総称して歌舞伎舞踊と呼ぶ。その動きの中に、演劇的要素として日常生活の写実的な動きを抽象化して見せる部分や、舞台劇として誇大化して見せる様式美の部分もあり、純粋に培われた舞踊に、様々な要素が加わって現在の姿となっている。日本舞踊においても、新舞踊や創作舞踊が作られ、歌舞伎もオペラやバレエなど西洋舞踊を融合した、いわゆる古典ではない所作もあり、歌舞伎舞踊においても同様の傾向がある。歌舞伎は元来、庶民の娯楽的要素の強い芸能であるから、時世を反映し、常に新しいものを生み出してきた。舞踊の総監督ともいえる振付師が各々の時代の人間であるから、それは当然のことかもしれない。以下、歌舞伎舞踊の内容的分類として、上述した歌舞伎の所作事と、そのジャンルについて触れる。

所作事(しょさごと)は、振事、拍子事、景事などとも呼ばれ、「やつし事」という演技から始まった。「やつし」とは、元々高貴な身分の人が零落し、又は身分を隠し、下賤の姿となり演技するもので、職人・商人に扮して多彩な滑稽味を伴う演技であった。それが後に歌舞伎演目中の舞踊全般を指すようになった。伴奏が主に長唄による舞踊そのものと、伴奏が常磐津(ときわず)・清元などの浄瑠璃による舞踊劇とに大別され、特に浄瑠璃による所作事を「浄瑠璃所作事」と呼ぶ。現在は所作事と浄瑠璃所作事、振事、拍子事などの境界が曖昧になっているが、元来、浄瑠璃所作事は数段形式である歌舞伎狂言(当時の歌舞伎演目の呼称)のうちの一段として作られたもので、その源流は丸本歌舞伎・文楽にあるとされる。後にこの形式が歌舞伎の中で消化されるに従い、元来は演目全体であったものが1つの舞踊・舞踊劇として作られるものが出現した。歌舞伎演目の一部分としてではなく、独立の舞踊として歌舞伎の演目になっているものがこれである。女形の芸として洗練され、後には立役も踊るようになり、文化文政時代には、一人の俳優が役柄を続けて演じ分ける「変化物(へんげもの)」が生まれて流行し、多くの小品舞踊が創造された。明治期には、能・狂言から題材を取った「松羽目物(まつばめもの)」というジャンルが誕生し、芸事としても伝承されている。以下、所作事のジャンルを追ってみる。

変化物(へんげもの)  一人の踊り手が早替りで次々と異なる役柄に扮して踊るもので、江戸時代後期に大流行した。役柄ごとに独立した一曲となっている。曲数により、○○五変化、○○七変化などと呼んでおり、一曲ごとに衣装・背景・伴奏音楽の種類など舞台装置が変わるので、分かりやすく、見ていて面白い。変化物の誕生に伴い、役者に振りをつけて教える振付師も誕生した。「藤娘」「汐汲み」「喜撰(きせん)」「鷺娘」「越後獅子」「供奴)」「年増」などが有名。
松羽目物(まつばめもの)  明治時代の演劇改良運動により、接触を禁じられてきた能・狂言と交流を持てるようになり、新たに創作された能楽や狂言の題・内容・様式を借用した舞踊劇のこと。能舞台を模倣して、大きな松を1本、背景に描くものが多い。「勧進帳」「船弁慶」「素襖落し」「身替り座禅」「茨木」「土蜘」などが有名。
三番叟物(さんばそうもの)  能の「翁」は正月・記念日・開場などの祝儀に演じられる非常に儀式的な演目であるが、江戸時代中期の宝永年間、「翁」を拝借して舞台を清める意味も込め、歌舞伎においても儀式性の強い演目が創造されたが、より陽気かつ開放的で、見た目の面白さ、軽快さなどを中心とし、様々な種類の曲が生まれた。「寿式三番叟」「舌出し三番叟」糸操りの人形が動く趣向の「操り三番叟」「廓三番叟」「二人三番叟」群舞形式の「五人三番叟」などがある。
道成寺物(どうじょうじもの)  能の「道成寺」が原典のもので、鐘供養に訪れた女性が舞を披露し、恨みの表情で鐘に飛び込むという枠組みを取り入れ、多くのバリエーションがある。1753年、初代・中村富十郎(なかむらとみじゅうろう)が集大成して最も有名な「京鹿子娘道成寺」や「双面道成寺」「奴道成寺」などがある。
石橋物(しゃっきょうもの)  「獅子物」とも呼ばれる。「道成寺物」から枝分かれし、女性の狂おしい恋心のイメージが獅子の「狂い」と重なり、謡曲「石橋」の枠組みを借りて女形舞踊として独立したものと考えられている。「連獅子」「英執着獅子」「鏡獅子」「枕獅子」「風流相生獅子」などが有名。
道行物(みちゆきもの)  世話狂言(二番目物)の筋を引いたもので、男女が情愛をもって目的地へ急ぐ旅路の、せつない情緒を舞踊で表現するもの。「落人」「道行初音の旅」「道行旅路の嫁入り」「道行恋苧環」「蝶の道行」「梅川」などが有名。
狂乱物  物に狂った様を踊るので「物狂い」とも呼ばれる。離別・嫉妬・悲恋・偽狂乱(本心を気取られないための計画的狂乱)など、多様な狂乱がある。「保名」「お夏狂乱」「隅田川」「高野物狂」「賤機帯」「仲蔵狂乱」など。
椀久物(わんきゅうもの)  大阪に実在した豪商・椀屋久右衛門と、新町の傾城(遊女)・松山とのラブロマンスを扱ったもので、後世歌や芝居の題材として盛んに取り上げられた。「陸奥弓勢源氏」「二人椀久」など。
浅間物(あさまもの)、祝儀物、丹前物(たんぜんもの)、双面物(ふたおもてもの)等々、他にも数多くあるが、次に所作事に欠かせない音楽について少し触れることにする。

歌舞伎舞踊の舞台の出来・不出来を左右するのも音楽次第といわれるほど重要とされ、色々な流派があるが、よく登場するのが「長唄(ながうた)」「常磐津(ときわず)」「清元(きよもと)」である。
「長唄」は、舞台中央に雛壇を設け、唄・三味線・囃子がズラリと居並ぶ形で演奏される最も多い人数編成のもので、囃子連中が舞台へ出て演奏するのは長唄だけであり、特に「出囃子(でばやし)」と呼ばれている。派手でリズミカルで、軽快な囃子が特徴。「京鹿子娘道成寺」「勧進帳」などが有名。
「常磐津」は、1747年、初代・常磐津文字太夫(ときわずもじだゆう)に始まる江戸浄瑠璃で、上方で大流行した豊後節(ぶんごぶし)の系統に属する。演者は柿茶色の肩衣(裃)を着て、舞台下手の山台の上で演奏するのが原則とされる。歌舞伎の所作に合うよう、時代物には重厚な節、世話物には情緒豊かな節を付けるよう工夫がされている。「積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)」「戻駕(もどりかご)」などが有名。
「清元」は、常磐津同様、豊後節を源流とする富本節(とみもとぶし)から分岐した江戸浄瑠璃で、1814年、初代・清元延寿太夫(きよもとえんじゅだゆう)が樹立したといわれる。最も新しい流派で、舞台では、深緑色の肩衣を着、常磐津と反対の、上手山台の上で演奏するのが原則とされる。情緒ある詞章を高音域で、技巧的に語るのが特徴で、軽妙洒脱(けいみょうしゃだつ)な粋で派手な曲調といわれる。「忍逢春雪解(しのびあうはるのゆきどけ)」「隅田川」「落人(おちうど)」などが有名。

最後に演じ手側について触れ、その流れより流派に移ろうと思う。
江戸時代まで、歌舞伎は被差別階級の仕事という考えが強くあり、差別も根強く残っていた。いずれの芸能も同様なのだが、当時の芸能人は現在と違い、階級的に言うと階級外に置かれる、最下層民が担っていた。しかし幕府や武家の庇護を受け、また式楽としての社会的地位を得、歌舞伎の担い手達もその人気と供に地位が向上した。現在歌舞伎舞踊を演じるのは、歌舞伎役者と日本舞踊家であり、重要無形文化財の認定を各個で受け、また技能保持者は人間国宝と称され、芸能同様、保護・伝承の動きがある。
また現在、歌舞伎舞踊は(社)日本舞踊協会所属のもので120流派余り、正確な数は把握されていないが全体で200流派余り存在するといわれ、中でも花柳流(はなやぎりゅう)・藤間流・若柳流(わかやぎりゅう)・西川流・坂東流は5大流派と呼ばれ、知名度も高い。以下、これら流派の概要を述べるが、どの流派も男性社会の歌舞伎と違い、多くの女性が活躍しており、また稽古次第で名取・師範免許が得られる仕組みになっているが、師範免許取得はかなり厳しいようだ。

花柳流(はなやぎりゅう)  1849年、花柳壽輔が創始。花柳壽輔は4世・西川扇藏に学び、歌舞伎舞踊の振付師として重きをなした。最初は家庭の子女の舞踊として浸透したが、現在は組織力の強さで最大の流派(名取数約15,000名)となっている。小間(こまかい間のリズム)をとても大切にし、それが全体の大きなうねりを形成し、華やかな踊りを演出するのが踊りの特徴とされる。
藤間流(ふじまりゅう)  藤間勘兵衛が宝永年間に創始。のち茅場町の勘十郎家・浜町の勘右衛門家が分派し3系統で隆盛を極めたが、1906年に直系・勘兵衞派が断絶した後は勘右衞門家と勘十郎家の2派になった。歌舞伎役者には、藤間姓が多いことが知られている。3世・藤間勘右衛門が松本流を派生させた。
若柳流(わかやぎりゅう)  1893年、初世・花柳壽輔の門から出た花柳芳松が、歌舞伎界の振付師として才能を発揮し若柳吉松(寿童)と改名して創始した。花柳界で発展したため手振りが多く、品のある舞踊である。1944年、2世・若柳吉蔵没後、若柳流は2派に別れ、直派若柳流・正派若柳流になった。
西川流(にしかわりゅう)  元禄時代に始まり、2世・西川扇藏が確立した。江戸の正派と、西川鯉三郎を祖とする名古屋派とがあり、花柳流七扇流などを分派した。三百年の歴史を有し、当代は10代目である。
坂東流(ばんどうりゅう)  3代目・坂東三津五郎を祖とする。3代は初代の子で、舞踊の名手として化政期の代表的歌舞伎俳優だった。

最後に流派の簡単な概要を記したが、いずれの流派に所属するにしても、一般的に免状を受けるには時間とお金が必要だと思われている。実際、免許に係る費用や発表会費用、盆・暮れの付け届けなど、伝統的な流派では確かに多くの費用が掛かってしまうのが現状のようだ。「家元制度」は、一般には分かり難い仕組が存在し、日本文化・芸能に興味を抱き、覗いて見たい初心者にとって敷居が高いイメージが依然として存在し、思い切って入りづらいものである。
こうした壁が伝統芸能伝承のネックになっているとするなら残念でならない。習い事としてバレエなどの西洋舞踊だって当然お金は掛かる。日本人としてその心に根ざした伝統文化を伝承することの意義を再認識し、金銭的にも開かれた世界になり、幼年者のせっかくの興味をそぐことのないよう配慮されることを筆者は祈っている。



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