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弓道・なぎなた・忍術

きゅうどう・なぎなた・にんじゅつ(武道)


[弓道・なぎなた・忍術]
本項は、日本の武道を取り上げる。弓道、なぎなた、忍術の成立を中心に各項目ごとに簡単にまとめてみた。

「弓道」

弓は、太古の人類が野生の獣を狩る“飛び道具”として生まれ、改良を重ねて発達してきた。我が国の弓は中国で発生した「蒙古型」に属することと弓の長さが2mもあるのが大きな特徴である。弓が長すぎるために、長さの中心を握って矢を射ようとしてもバランスがとれないために矢を射ることができず、弓の下端から三分の一ほどの部分に矢を番えて放つようにしたという。また、矢の先(やじり)には黒曜石を用い、それを尖らせて殺傷力を増したが、4世紀ごろに大和朝廷が出現して国家の統一が図られるようになると戦いを専門とする戦士集団の強力な武器となった。[武士と騎射]平安時代に源氏と平家の二大武士集団が争った戦闘では、馬に乗った武士が矢を射たり(騎射)刀を振り回したりするのが主要な手段であった。特に東国の武士は馬を使うことに長けていて、機動力のある戦いはしばしば戦闘の行方を左右した。また、名誉を重んじた戦いぶりを誇り、敵将を狙う矢は特別なものを用いたり、3人がかりで弦を引く「強弓」を競ったりしたが、合戦における主役は騎射であることから「弓馬一体」と称して馬の扱いも重要となり、馬は足の短い屈強なものが使われたという。[通し矢]通し矢は室町期に京都三十三間堂で始まったものが後に競技となったもので、世の中が安定して合戦が少なくなったことから生まれた。120m先の壁の的を何本射ることができるかを一睡もせずに一昼夜かけて行う厳しい競技で、各藩ではこの競技のための射手を鍛錬して名誉を競った。記録によれば、貞亨3年(1686)に紀州藩の射手が一昼夜で10.542本を射て、うち8.133本を命中させたという。この競技会は武術のスポーツ化という点で注目すべき出来事であった。[弓の改良]古代の弓は手近に在る木や竹を削って作られた単純なものであったために威力に乏しく長持ちもしなかった。平安時代になると合戦に用いるために殺傷力を高め、かつ耐用力が求められるようになり、木に竹を接着した二重作りの「伏竹弓(ふせだけゆみ)」が登場した。今日の弓の原型であるが、その後、木と竹の接着力を高めるために藤で弓を巻いたり、漆を塗って湿気に対処するなどの工夫が重ねられた。また、矢も3枚の矢羽をつけて回転させることで直進性を増し、鷲や鷹の強い羽が使われた。さらに、鎌倉時代になると二枚の竹の間に木を挟んだ「三枚打」の弓や、四方を竹で囲んだ「四方弓」が作られるようになった。現代では、古来の竹の弓のほかに、棒高跳びなどで使用されるグラスファイバーを素材とする折れにくい弓が使われ、矢も中央部分に軽くて丈夫なジュラルミンが用いられるようになった。[射法八節]矢を射るための八つの動作のことである。①足踏み:矢を引く基本姿勢を整える足の構え。②胴造り:足踏みの上に正しく腰を乗せ呼吸を整える。③弓構え:弓を構え、矢をつがえ、射ようとする的を見定める。④打起し:弓矢をもった両こぶしを頭上に引き上げる。⑤引分け:弓を左右に引き分ける。この際、弦を引く手を保護するために鹿皮で作られた手袋(弽-ゆがけ)を用いる。⑥会(かい):矢を発する機会を待つ。⑦離れ:左手のスナップを利かせて矢を放つ。このとき、そのまま放したのでは弓の幅分だけ矢がずれるので左手首を少々捻る動作を行う。(角見-つのみ)⑧残心:発射の後の姿勢と心の在りよう。こうした射法による弓道競技は、射距離が28mの近的競技と90m、70m、60m、50mの遠的競技に分かれていて、使用する的も近的競技が木枠に紙を貼った直径36cmのもの、遠的競技の場合は120cm又は100cmのマットに的絵を貼ったものを使用する。

「なぎなた」

“なぎなた”といえば絵巻物や物語に見る武蔵坊弁慶を連想するが、武術とはいえ、平成4年に学習指導要領で「武道」とされるまでは女子の武術という位置付けであった。“なぎなた”は我が国における伝統的な武器の一つであり、柄に曲線のある長い刃をとりつけ、騎乗の戦士と戦う歩兵として用いられていた。 初め「長刀」と書いたが、南北朝時代に2mを超えるような長い刀が用いられるようになつたことから、それと区別する意味で、敵の人馬を薙ぎ払う刀「薙刀」と書くようになったという。[なぎなたの歴史]起源はよくわからないが、太刀から変化したものであることは間違いない。戦闘の際に長い武器によって離れた相手と戦うことができるのは大いに有利である。承平・天慶の乱(935~941)の合戦を描いた絵巻物に“なぎなた”を持って戦っている場面があり、これが最古の記録かもしれない。文献では後三年の役を記した『奥州後三年記』に源義家が“なぎなた”を使って戦った様子の記述があり、1146年の『本朝世紀』では源経光の兵杖を「俗にこれを奈木奈多と号す」と記していて、このころには“なぎなた”の呼び名が世間に広まっていたのではないかと思われる。戦国時代に入ると戦闘では槍を使うことが増え、さらに、1543年に鉄砲が伝わると戦闘様式が一騎打ちから集団戦へと変化し、接戦に有利であった“なぎなた”はしだいに姿を消した。江戸時代以降は専ら僧侶や武家の婦女子の護身用として用いられ、なかでも武家の婦女子の場合は嫁入り道具の一つとして必ず“なぎなた”を持参したという。明治期から現代にかけては、男子の剣道と共に女子の武道として学校教育の場でも取り上げられて女子教育における人間形成面で貢献した。[なぎなたの特性]応用範囲の広い武器で、刃や柄は攻撃だけでなく防御にも使用するが、その技術面の特性としては①左右対称。②繰り込み・繰り出し・持ち替え・振り返し。③併進・回転運動などが挙げられる。また、身体面では①均整がとれた円満な体型。②端正な姿勢。③体力・耐久力の増強。④健康増進などがあり、精神面でも①集中力・判断力。②気力・忍耐力。③礼節と公正心。④他者を尊重する心。⑤克己心などの育成に役立つという。[競技]競技には試合競技と演技競技があり、対戦は個人試合と団体試合の2種類がある。試合競技では面、胴、小手、すね当てを防具として用い、競技は二人の試合者が、定められた部位を確実に早く打突することで勝負を競う。部位としては面部、(正面と左右の側面)小手部(左右)胴部(左右)臑部(左右の外ずねと内ずね)咽喉(のど)があり、なぎなたを振り上げ、繰り込み・繰り出し・持ち替え・振り返し技によって打突部位を打ったり突いたりする。演技競技は2名の演技者が一組となって仕掛け応じ技の組み合わせ演技によって優劣を競うもの。[国際化]昭和28年(1953)に、第二次世界大戦の敗戦(1945年)によって一時禁止されていた武道が復活すると、その2年後に「全日本なぎなた連盟」が新しい武道として発足した。各県の連盟からなるこの組織は、現在では中学、高校のクラブにも採用され、毎年全日本選手権大会が開催されるほか国体やインターハイなど各種大会が催されている。国際的には平成2年(1990年)に国際なぎなた連盟が発足し、現在はベルギー、ブラジル、フランス、オランダ、ニュージーランド、スウェーデン、アメリカ、チェコ、オーストラリア日本などの諸国が加盟していて、4年に一度の割合で世界大会も行われている。   

「忍術」

一般に“忍術”から連想するものは猿飛佐助や服部半蔵であり、伊賀者・甲賀者であるが、“忍術”は室町時代から戦国時代にかけて活躍した忍者の諜報活動と、その諜報活動の際に必要となった戦術や各種の武器術、武術 などを含む技術の総称である。『日本書紀』の「神武天皇東征の際、道臣命が諷歌倒語の術(歌や言葉のなかに暗号を組み込み、作戦の合図に使う)によって戦いに勝利した」という記述や、また、日本武尊が女装して敵将に近づき、一人で相手を倒して勝利した、ということなどをもって“忍術”の始まりとする説のほか、日本古来の武術ではなく、6世紀から7世紀ごろに古代中国・『孫子の用間(スパイを用いること)術』によって伝えられた兵法の知識が基となり、長い歳月を経て戦国期に実用化されたのではないかという説もある。[伊賀と甲賀]徳川時代初期に江戸城の大奥を守ったのが伊賀組、表門の警備に当たったのが甲賀組で、いずれも忍者の集団であり、出身地からそう呼ばれた“忍びの組織”である。伊賀組は、天正10年(1582)の本能寺の変に巻き込まれて絶体絶命の窮地に立った徳川家康を、無事に家康の領地・三河へ帰還させた伊賀の武士集団で編成された。このとき家康護衛の任についた200名が服部半蔵の指揮の下に任用され、その後の幾多の戦いで勇名を馳せる活躍によって徳川幕府の安定に貢献した。一方、甲賀組はそれより古く、家康が今川勢に反旗を翻した最初の攻城戦で家康方に組して戦い、次いで、関ケ原の前哨戦であった伏見城篭城で大いなる功績を挙げたのが大きな転機となり、後に成立した江戸幕府で重用された。このように伊賀組・甲賀組は幕府の職制に組み込まれた専門家集団であるが、“忍び”は両者のみにとどまらず各地の大名や武将と個別に契約を交わして一定期間雇われる忍び組もあり、こうした雇われ組の活躍にまつわる話も数多く残っている。忍びとしては、むしろこの方が本来のイメージに近い存在である。[忍者]忍術は人の心理を読み、自然現象に精通した合理的・科学的な兵法であり、忍者は秘密厳守の世界で極限まで己を鍛錬した武芸者でもある。格闘術や剣術はもちろん、手裏剣や鉤などの特殊な武器にも修練を積み、情報の収集や操作、変装術、サバイバルや天体観測、薬学、栄養学に関する知識など多岐多様な技能が求められた。忍者の理想像として次のような10か条があるという。①忠・勇・謀・功・信の五徳を兼ね備えていて身体健全であること。②平素は柔和で義理堅く、欲望を抑えて理学に励み、行いは正しく恩義を忘れないこと。③弁舌に長じて広く書を読み、思慮深くて人の口車に乗らないこと。④天命を知って儒仏の理を兼備し、死生も命あることを常に心にかけ、私欲を離れて先哲や古人の言を尊重すること。⑤武士の法を知り、智謀をもって敵を滅ぼした和漢の名士を尊重し、軍利戦法に関心をもっていて英雄の資質があること。⑥日常は人と争うことなく、柔和ながら威あって義深く、善人の名あって表裏がないと世間からみられていること。⑦妻子親族が普通にある善良な民でありながら、忍者としての使命をわすれないこと。⑧諸国を旅して各地の国風を熟知していること。⑨忍術をよく学び、謀計に敏で文才あって書道をよくし、軍事にも志厚いこと。⑩軍術のほか諸芸に通じ、詩文・歌舞・音曲などの遊芸を身につけ、如才ないこと。 



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